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大阪高等裁判所 昭和42年(う)833号 判決 1967年8月29日

被告人 細川俊一

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人松原倉敏作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点(刑事訴訟法三七八条三号の主張)について

よつて案ずるに、記録によつて、本件起訴状記載の訴因と原判決が認定した事実とを比較検討すると、被告人の本件行為の日時、場所、行為の大要、接触の事実、被害の概要等において差異を認めることができず、ただ訴因によると、「被告人は……時速約四五キロメートルで東進中、前方道路左側の駐車車両の右側へ進出しようとしたが、このような場合、自動車運転者としては前方左右を十分注視し、障害物の早期発見に努めるは勿論、把手操作を確実に行なう等して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠り、対向車両の有無に留意することなく、把手を大きく右に切り、道路中央線を越えて進行した過失により折柄東方から進行してきた渡鍋捷史の運転する普通乗用自動車に自車右前部を接触させた」というのであるが、これに対し、原判決が認定した事実によると、「被告人は……東進して……約四五キロメートル毎時の速度で……にさしかかつたとき、前方約二二四メートルの車道左側部分に大型貨物自動車が駐車していることを発見し、右駐車車両のさらに東方より渡鍋捷史の運転する普通乗用車を先頭とする三両の自動車が西進しつつあるを認め、そのままの速度で対向して進行すれば、自車と右対向車両は右駐車車両付近において対向離合することを予想したので、被告人は自車の前照燈を減光あるいは増光し、またはその照射方向を上下し、右対向車両に対し進路の避譲を求めるべく十数回にわたり合図を送ったものであるが、かかる場合自動車運転者としては、道路左側部分を進行しつつ右対向車両の動静に十分の注意を払い、場合によつては警音器を吹鳴して対向車両に対し進路の避譲をもとめ、右駐車車両付近において対向車両と対向離合するにおいては、安全に対向する間隔のあることを確認して進行し、対向車両と接触のおそれあるときは、自ら減速して右駐車車両付近における対向離合を避ける等して対向車両との接触による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務あるところ、これを怠り、前記のとおり前照燈による合図をしたことにより対向車両において当然その左側に寄り自車に進路を譲るものと軽信し、右前照燈による合図をしたのみで、前記速度のまま中心線より自車の右側を約六五センチメートル右側部分に越えて進行した過失により、前記駐車車両の西方十数メートルの地点にいたり、右渡鍋捷史運転の自動車が中心線に近い左側部分を直進し来るを認め、急制動の措置をとつたが及ばず、右駐車車両の側方付近において、自車右前部を右渡鍋捷史の運転する普通乗用車の右前部に接触させた」というのであつて、両者の間には、被告人の行為の一部ないし過失の態様に若干異なるところがある。しかしながら訴因のいうところは要するに、駐車車両の右側に進出して進行するときに自動車運転者が事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務としては、対向車両に接触または衝突することのないような方法をとることにあるのであつて、訴因にはその例として前方左右を十分注視し、障害物の早期発見に努め、把手操作を確実に行なうことを例示したに過ぎず、それらだけが注意義務のすべてであるという趣旨でないことは「……把手操作を確実に行なう等して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務」と記載してあることによつても明白である。すなわち、原判決説示のように、もし対向車を発見した場合には道路左側部分を進行しつつ右対向車両の動静に十分の注意を払い、場合によつては警音器を吹鳴して対向車に対し進路の避譲をもとめること、右駐車車両付近において対向車両と対向離合するような場合には、安全に離合する間隔のあることを確認すること、対向車両と接触するおそれがあるときは、自ら減速して右駐車車両付近における対向離合を避けること等も含まれるであろうことは当然である。要は対向車両に接触するという危険の発生を未然に防止すべき義務があるという趣旨に解すべきであるから、原判決が訴因に示された前記注意義務に代えて、右記載の各注意義務を判示したからといつて、訴因に包摂されない新たな注意義務を判示したものではない。また、訴因では「対向車両の有無に留意することなく、把手を大きく右に切り、道路中央線を越えて進行した」ことが過失であるとしているのを、原判決は、被告人が駐車車両のさらに東方より対向車両である渡鍋捷史の運転する普通乗用車を先頭とする三両の自動車が西進しつつあるのを認め、そのままの速度で対向して進行すれば、自車と右対向車両は右駐車車両付近において対向離合することを予想したので、被告人は自車の前照燈を減光あるいは増光し、またはその照射方向を上下し、右対向車両に対し進路の避譲を求めるべく十数回にわたり合図を送つたが、右合図をしたことにより対向車両において当然その左側に寄り自車に進路を譲るものと軽信し、右合図をしたのみで、従前の速度のまま中心線より自車の右側を約六五センチメートル右側部分に越えて進行したことが過失であると判示したのであるが、訴因に示された過失も原判決が認定した過失も要するに、被告人が対向車両の動静に十分の注意を払わず、中心線を越えて進行した点において符合するのみならず、原判決は被告人に対し起訴状の訴因より明らかに利益な事実を認定しているうえ、原審の審理の経過を検討してみても、これがために被告人の防禦が十分に尽されなかつたと認めることはできない。従つて、原裁判所が訴因変更の手続をせずに、前記のごとく訴因の記載と異なる認定をしたことに違法はない。しかも、所論の刑事訴訟法三七八条三号にいわゆる「事件」とは、公訴事実を指すのであるから、訴因と判決の認定する事実とが公訴事実につき同一性を失わないかぎり、訴因変更の手続をしないで審理判決しても、審判の請求を受けた事件について判決をせず、又は審判の請求を受けない事件について判決をしたものとはいえないのである。そして、本件において起訴状記載の訴因と原判決が認定した事実との間に前記のごとき差異があつても、公訴事実の同一性が害せられないことは明白であるから、審判の請求を受けた事件について判決をせず、又は審判の請求を受けない事件について判決をしたことにはならない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(理由不備ないし審理不尽の主張)について

(一)  所論は先ず、原判決は、本件道路工事現場及び駐車車両付近を通行する際、右各障害個所を中央線を越えても、この場合道路交通法一七条四項三号の適用があり許された通行方法であることを認めながら、他方工事現場と駐車車両との距離が約二二〇メートルもあつて、その間何らの障害がない以上一旦正常な位置に復して通行すべきであるのにこれをせず、右区間を車両の一部を右側部分にはみ出して進行したのは違法である。従つて駐車車両の横を通行することもまた違法である、と判示しているが、少くとも被告人の車が駐車車両付近にさしかかつたときには中央線を越えて通行することは適法となるのであつて、判示には矛盾がある、というのである。しかしながら、記録によると、右主張のうち「従つて駐車車両の横を通過することもまた違法である」との部分については原判決がそのような判示をしていることはこれを認めることができない。ただ、記録によると原判決が罪となるべき事実中に「道路の中心線より自車の右側を約六五センチメートル右側部分に越えて進行した過失により……右駐車車両の側方付近において、自車右前部を右渡鍋捷史の運転する普通乗用車の右前部に接触させ」と判示していることはこれを認めることができるけれども、右判示は駐車車両の側方を道路の右側部分に越えて通行したことが、道路交通法上違法な通行方法であるといつているのではなく、適法違法にかかわりなく、本件の具体的状況下において、対向車両との接触を避けるべく、道路左側部分に避譲すべきであるのに右側部分に越えて、駐車車両側方付近まで進行したことが、過失になることを判示したものであることは明らかである。従つて、原判決には所論のごとき矛盾を見出すことができない。この点の所論は理由がない。

(二)  所論は次に、道路工事現場と駐車車両との区間を中央線を越えて通行したのが違法であるとしても、その違法は本件事故の発生とは直接の因果関係はない。本件事故全体の情況に照らし、むしろ判決のいうごとく、一旦正常な位置に復し、再び駐車車両の付近で把手を右に切つて中央線をわり、駐車車両の横を通過することの方が対向車との離合に際してははるかに危険である、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係各証拠を綜合すれば、被告人が初めて対向する渡鍋捷史運転の自動車を発見したのは約四七〇メートル前方であるが、渡鍋はその当時より道路左側部分中心線寄りを直進しており、被告人が原判示のごとく前照燈を操作して合図を送り避譲を求めたのにかかわらず、左側に寄ろうとする気配が認められなかつたのであるから、被告人としては同車との接触を避けるべく、自車を一旦道路左側部分に復して、同車及びその後続車の動静に注意しながら進行し、その動静如何により、駐車車両の右側に進出して同車と離合するか、あるいは、減速、徐行または停車して、駐車車両の手前左側部分で同車と離合するか、の判断をしなければならない状況であつたというほかなく、そして被告人が右のごとき運転方法をとつていたならば、本件接触事故は避けえたと考えられるので、所論は採るをえない。

(三)  所論はさらに、原判決はいわゆる信頼の原則を否定すべき特別の事情として「被告人が初めて渡鍋捷史運転の自動車を発見したのは約四七〇メートル前方であるが、渡鍋捷史はその当時より道路左側部分中心線寄りを直進し来り、被告人の前照燈の合図にもかかわらず左側に寄る等の態度が見られず、依然として直進を続けていたのであり、被告人が渡鍋捷史運転の自動車を発見した後、危険を感じて急制動の措置をとるまでの間には約一七秒の時間的な余裕があつた」ことをあげているが、被告人が新檜尾橋東詰付近から駐車車両付近までの区間約二二〇メートルを前照燈で十数回も合図を送りながら進行していたことは原判決も認めているのであり、しかも対向車道の幅員は相当広く、渡鍋捷史において容易に左側への回避措置が可能であり、同人に結果回避行為を期待できる状況であつたのであるから、被告人の本件事故に対する注意義務は自分かぎりで確実に事故を回避できる最善のものである必要はなく、被告人がなした前照燈による合図、緊急停車のような結果回避措置をもつて足り、対向車たる渡鍋捷史の容易になしうる左寄り等の結果回避措置に対する被告人の期待、信頼は保護すべきであるのにかかわらず、原判決はこの点につき十分な審理を尽さなかつた違法がある、というのである。

なるほど原判決挙示の各証拠によると本件道路は車道の幅員一一メートル(片側五・五メートル)であり、車道の両側には幅員三メートルの歩道が設けられていたうえ、西行車線には障害物がなかつたのであるから、渡鍋捷史としては道路交通法一八条一項により車道左側に寄つて通行しなければならず、まして被告人の車が道路中心線を越えて東進して来るのを認識しえた筈であるから、当然車道左側に寄つて接触を回避することが容易にできた筈であり、これを期待することも可能であつたことは所論のとおりである。しかしながら、元来信頼の原則というのは、法規に従い、正常に自動車を運転している者が、他の車両または歩行者もまた法規に従い正常に通行するものであることを信頼するのが相当である場合に、これを信頼して運転すれば、特別の事情のないかぎりはそれで足り、かかる場合にあえて他の車両または歩行者が法規に違反し、その他危険な行為に出ることまでも予想して事故の発生を未然に防止する特別の措置を講ずべき注意義務はないとするものであるから、相手車両が交通法規に違反し、その他危険な行動に出ることを予見していない場合にのみ適用されるべきものであつて、既に相手車両が交通法規に違反し、その他危険な行動に出ていることを認識し、あるいは、右のような行動に出ることを予見した場合には適用されないと解するのが相当である。そこで本件についてこれを見るに、原判決挙示の各証拠によると、原判決が被告人及び弁護人の信頼の原則に関する主張に対する判断の中で認定した事実(前記所論引用の原判決説示)はこれを十分認めることができ、右認定事実によると、被告人は渡鍋捷史運転の自動車を発見してから同車と接触するまでの約一七秒間、同車の進行状況を認識しており、同車が被告人の原判示のごとき前照燈の合図にもかかわらず、道路中心線寄りを直進し、左側に寄ろうとする気配が認められなかつたのであるから、被告人としては同車が既に交通法規に違反し、危険な行動に出ていることを認識していたものというべく、このような場合には信頼の原則の適用はなく、被告人としては単に前照燈による合図を送るだけでは足らず、原判示のごとく、対向車両の動静に十分の注意を払い、場合によつては警音器を吹鳴して対向車両に対し進路の避譲を求め、駐車車両付近において対向車両と対向離合するならば安全に離合しうる間隔があることを確認して進行し、対向車両と接触するおそれがあるときは、自ら減速して右駐車車両付近における対向離合を避ける等して対向車両との接触による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたものというほかない。してみれば、原判決が同旨の見地に立脚して、信頼の原則の適用を排除し、原判示事実を認定して、被告人に有罪の言渡をしたことは正当であり、審理不尽の違法はない。この点に関する所論も理由がない。

よつて、論旨はいずれも理由がないので、刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 奥戸新三 佐古田英郎 梨岡輝彦)

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